徳島にて、阿波グローカルネットの主催で開催された「災害弱者の防災を考える」交流会に参加してきました。
大変な状況の中この現状を多くの方に知っていただきたいと、新潟から「クループ築宅」の品田浩子さんが来られていました。品田さんは、新潟で福祉住環境コーディネーターになる前から、福祉と住環境をつなぐ活動をされていて、障害をお持ちの娘さんがいらっしゃいます。仲間からあなたしか出来ない事があると励まされ、現在設計事務所をしているが90%以上が障害や高齢の方のリフォームだそうです。
お話を伺うと、新潟では過去に何度も水害があったそう。地震に関するフォーラムやシンポジウムも開かれていたが、その直後に中越地震が起こってしまった。そのシンポジウムの内容が実際に現場に生かされていたかと言えば疑問も残る。実際は想定とはまるで違い対応も難しかったようです。一番深刻なのは水不足で、運動場に大きな文字で「SOS水をくれ」と書かれていたことも報道されていました。
今回の震災でも活躍されている「ゆめ・風ネット」は、9年前の阪神大震災のときに出来た、助け合いのネットワークです。どんな災害でも仮設住宅をつくるが、すべて同じ作り。障害者の中にはそこで暮らせない方も。スロープもなければ使いやすい台所でもない。このまちで過ごしたいがそこで住めず他の地域へ引っ越す事を余儀なくされる方もいらっしゃいます。品田さんにも、”障害のある人がどうしているか、分かっている範囲でしらせてくれ”と連絡があったそう。あちこちから情報を集め、そしてひとりひとりに「出来ることはないか」と聞いて回ったそうです。毛布が必要、電気が必要、FAXが必要・・・ひとりひとりのニーズに対して動いています。
それは当たり前の権利ようで災害の現場では非常に難しく、先駆け的な活動だと言えます。
災害直後の活動ももちろん大切ですが、長期的な支援がこれから必要になってきます。ボランティアに入る期間は3週間から1ヶ月。被災地での生活はずっと続くもの。一生村に戻れない方もいらっしゃいます。例えばこれから新潟は雪の問題があります。毎日ニーズは変化していく。全国から来られるボランティアには現地のニーズが伝わっていないことも多く、やはり地域での顔見知りのつながりがある事が災害時の大切なネットワークとして必要です。
また弱者と呼ばれる方々への対応として、まずはどんな支援が必要か、一週間ごとに聞いて回ったそうです。避難所に行けない状態の方、家が崩れかけていても家に居なければいけない人にお弁当を届けるなど。障害のある方で、施設に一時避難してる人。建築士会で今やっているのは、避難所を出た時に、自分の家に住むか、仮設住宅に住むか、親戚などの家に住むかの選択をする際に自宅の写真を見せて相談し決めていったそうですが、これは大変喜ばれたとの事でした。
つい、施設に入るべきだ、仮設に入るべきだ、と支援側が決めがちですが、ひとりひとりにどうしたいかを聞いて決めるべきと感じた。大変なんだろうから避難所から温泉に行ってもいいじゃない?というのは、被災してない人の感覚。不自由をしていても地域にいたい、一人で行くのは不安。という気持ちを分かって上げられないのは、”支援する側のおごり”だと感じたという言葉が強く印象に残りました。救援物資を送ったり、ボランティアとして現地に行く際も私たちも心に留めておかなければいけない言葉ですね。
長くなりました。ここですべては報告できませんがもう少し・・・
新潟で活動する、助け合いネットワークの方がこれだけは伝えて欲しいと言っていたこと。
それは、NPOやネットワークには、行政との橋渡し役をぜひ果たして欲しいということでした。被災地で、助け合いネットワークの方が、スコップを貸し欲しいと行政の方に言うと「税金で買ったものだから渡せない」と言われたそうです。非常事態の中、地域のために活動している人達に対して、行政としてはそんな杓子定規な対応しか出来ないなんて虚しいですよね。これからは、NPOなり地域のネットワークなりが地域の中で働き手となるわけだから、日頃から繋ぎ役になって欲しいとお話されていました。
そのほか、”エコノミークラス症候群”対策には、ビタミンCを補給するとよいという情報などネットを通じての情報支援をしてくださる方の話や、また被災者のPTSDについても医師とネットワークを組んでの対応が必要というお話、また不在の家に侵入しての窃盗や震災おれおれ詐欺も後を絶たず、心無い人に対しての怒りも感じました。
どちらにしてもこれから長期的な支援が必要です。南海地震がいつ起こるか分からない状況にある私達にとっても人事ではありません。何ができるのか・・・真剣に考えて出来ることから実現していきたいですね。

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