本当の幸せって?
以前日記にも書いたMさんの改造プランについて、本人と介護担当者と私とで三者会議を行った。
Mさんは確かに、どんどん症状が進行し、自分で動作できることも少なくなってきていた。
それでも出来る限り自分で出来る事はやりたいという意欲をお持ちだった。
だから、わざわざ電気店まで行って試してみたのだったけれど・・・
日頃、Mさんの生活をサポートしている介護担当者がひとこと。
「お金をかけて洗濯機を買っても、半年も自分出来る時間はないでしょ?どうせ、私たちがやることになるのに、そんなの無駄でしょう?」
日頃の付き合いや信頼関係もあるのかもしれない。
その人なりに無駄なお金を使わせまいと、Mさんのためを思って善意で言った言葉かもしれないけれど・・・
「すぐにもっと悪くなるから」
「自分で出来ないのに」
そんな言葉を何度も本人の前で口にするのを聞いて、たまらず私は言葉をはさんだ。
「ちょっと待ってください。私は今までいろんな方の改修をさせていただいたけど、少しの時間でも自分で出来ることがその人の自信になったり生きる意欲になるのなら、そこにお金をかけることが無駄かどうかは、ご本人が判断することじゃないでしょうか?例えばたった1日しか使えなかったとしても、自分で出来てよかったと納得できるなら、意味があるのかもしれませんよ。」
私のその言葉を聞いて、介護担当の方も「Izumiさんが言うように、決めるのはMさんだから、あなたが決めていいのよ!」とフォローしてくれたけど、Mさんは一言。
「やっぱり・・・洗濯機は・・・諦める」
そう言ったまま、その意見がくつがえることはなかった。いずれ自分で出来なくなった時に、お世話になる介護担当者に気を遣っての言葉だという事は、痛いほど分かった。
「半年前に出来たことが・・・今はもう出来なくなった。」
寂しそうに最後にそう言った。
でも私はそれ以上、言いたい言葉をぐっと堪えて何も言えなかった。実際に毎日の生活の中で自分が助けてあげられるわけではないのに、それ以上口をはさむことは、かえってMさんと介護担当者の関係を悪化させることになる。
なんだかとても寂しい、悲しい気持ちでその場をあとにした。
例えば手すりひとつにしても、今は一人でなんとか手すりをつかまって動作できているけれど、すぐに介助がなければ便器への乗りうつりが出来なくなるのだから、手すりなんか無駄だ、必要ないと言ってしまえば、それはそれで正論かもしれない。
でも、少しでも出来ることがあるうちは、出来るだけ自分でやってみたい・・・
そんなMさんのお気持ちを考えると、自分で使えるうちは安全につかまれる手すりがある、介助が必要でも1つの動作でも自分の力で動くことができるだけでも、生きる意欲や自信につながるのではないかと思った。
まだまだ自分の立場で出来ることで、提案できる事はいくらでもあるはず。それを見つける事に気持ちを注ごう。そしてまた、Mさんにまた笑顔になってもらおう(^^)
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コメント
ぼくとです。
Izumiさんの無念で歯がゆい気持ちが伝わってきます。
末期癌が特定疾病に組み入れられたことで”無駄、今更”という言葉が交わされる場面が増えてくると思います。
担当介護者の方は、利用者をチャイルドの位置に置き自分をペアレントの立場に置いて発言したのでしょう。善意であるだけに残念です。
私も、余命1週間で帰宅された方を担当しました。介護保険の”自立支援”の趣旨から戸惑いもありましたが、最後まで自分らしく生きることが本来の趣旨であろうと今は思っています。
投稿: いもがらぼくと | 2007/06/05 08:35